残雪と岩峰、神々が住まう歴史と信仰の山々「剱岳・立山三山」縦走 1
- 2019/09/04
- 22:21

:国内一般登山道最難関と言われる別山尾根から剱岳への登頂を目指しました
今回は、「試練と憧れ、アルピニズムに満ち溢れた孤高の頂 剱岳」と、「神々の痕跡と信仰の象徴の地 立山三山」、「電源開発にかけた人々の歴史 黒部アルペンルート」の縦走から下山までを、剱岳登頂編、立山三山縦走編、立山黒部アルペンルート編の3部作でお送りします。
:気高く美しく、そして険しい岩峰と雪渓で身を固めた孤高の山 剱岳へ

古くは江戸時代以前より信仰の山としていくつもの禅定道が拓かれ立山には浄土と地獄があると信じられてきました。山々自体をご神体とみなした立山信仰は多くの人々から崇められましたが、戦国の世の混乱で登山道の多くは情報伝達路として一般登山者の往来は厳しく制限されました。立山を支配した加賀藩は登山口近くで宿坊を営む「立山衆徒」と呼ばれる半僧半俗の宗教者らに登山道通行の管理を任せ立山衆徒が決めた細かなルールのもと一般信徒は信仰登山を行っていたそうです。
また、「立山曼荼羅」を使った立山信仰のプレゼンは日本中で人々の信仰を獲得し、多くの立山登山者を誘引し全国区の山岳信仰となりました。
全国的に広まった立山信仰も明治初年の「神仏判然令」により江戸時代のような宗教的管理は消滅し、宗教上の理由から閉ざされていた剱岳への登山や女人禁制も解かれ、登山の目的や登山者の顔ぶれも多様化して現在に至っています。

2019/08/26-27
夜10時の竹橋・毎日新聞社本館。
夜な夜なここに集まってくる登山ジャンキーがいるとかいないとか・・・・・

たぶん、この界隈にお勤めの方ならば「あぁ、また今年も登山シーズンが始まったのかぁ」と毎年の光景として受け流せるかと思いますが、たまたま外出先でこの光景を目の当たりにしたり、登山に関心の無い方からしたら異様な光景以外の何物でもないですよね。夜10時過ぎの閉館したビルのロビーに蠢く登山リュックを背負った亡霊たちの姿が・・・・・(笑)

ここはアルプスがシーズンを迎える6月中旬から10月初旬まで各それぞれの登山口まで直行バスを運行してくれる「まいたび.jp」が運営する「毎日あるぺん号」の受付場所となっています。

いつも通りと言いますか、進歩がないと言いますか、一泊二日分の衣食住を詰め込んだバックパックは18㎏。今回もまた小学校低学年の男の子が中に入っているくらいの重量になってしまいました。ちなみに男の子は入っていません!(笑・・・・・えない?)

ここの登山バス乗り場の利用は今季3度目となります。
前回はこの夏のアルプス登山の核心となる計画でしたが、初日に1時間当たり84mmを超すゲリラ豪雨に遭遇しテント内浸水、急遽山小屋へ避難、その後落雷と集中豪雨で撤退と相成りまして。あまりの緊急事態に写真を撮り忘れるというか、そこまで気が回らない、ブロガーとしては致命的なミスを犯しまして、やはり久しぶりにブログを再開しますと「おいしいネタ」を見逃しますね。

乗車予定のバスはこちらで、このバスで富山県の室堂まで。

バスの”腹”にバックパックを積み込んでもらいます。毎度のことですが運転手さんはこの異常なまでの重さのバックパックを人数分詰め込むのだから大変な作業です。

中は純然たる観光バスです・・・・・
バスは竹橋を22時30分に発車しまして、富山県の室堂には7時頃の到着予定となっています。
約8時間30分のバスの旅。
今回はなんと、利用者が乗車定員の1/4とのことで一人で座席二つを使えることに!
これはありがたかったですね。

夜行の登山バスでは初めてではなかろうか?というほど睡眠が取れまして、気が付けばカーテン越しに外が明るくなっていることで目が覚めました。カーテン越しに眺める室堂平までの車窓がまたこの後の行程に期待を持たせる絶景でした。

室堂バスターミナルから見上げる浄土山(左側)。帰りはコースタイムと天候次第ですが、あの山が縦走最終地点です。

朝7時の室堂ターミナル。明日ここまで無事に戻ってこれるだろうか?登山前はやはり緊張します。

ターミナル屋上へと出てきました。

振り返ると立山の山並みが。正面は真砂岳かな?

ここは何度も写真や動画で見た玉殿の水場。

ここ室堂から雷鳥平までは登山装備がなくとも観光で十分来られる場所です。朝の空気はとにかく気持ちがいい。

ではでは。
いざ、参らん!!

室堂ターミナルに併設のホテル立山。

富山県方面を望む。

石畳で整備された散策路は室堂平の中心を進みます。

日本にある地獄は、平安時代よりここ立山にあると言い伝えられてきました。
その地獄である地獄谷。京都から見たときにこの方角は鬼門なんだそうです。
硫化水素の臭いがかなりきつくなってきました。

みくりが池の畔に立つ「みくりが池温泉」は日本一高所にある温泉として有名です。
帰りに寄れたらなぁ、、、そんなことを思いながら通過しました。

地獄谷の対岸には奥大日岳が鎮座。北寄りにある大日岳、中大日岳を総称して大日三山と言われ、こちらも神住まう山としてかつては修験者の行場であった山々で剱岳、立山三山の眺望が有名です。

チラッとその姿を現した剱岳。
その昔、山域全体をご神体として不動明王に例えられた剱岳がこちらを凝視しているようです。(怖)

奥に見えている山が(右寄りのピーク)立山の主峰である雄山です。明日2日目はあの頂に建つ雄山神社を目指します。

地獄谷の全景。

剱御前の尾根とその向こう側にチラッと聳える剱本峰。

地獄と称されるところには必ずと言っていいほどある「血の池」。その色はまさに血の色でした。火山性物質の影響らしいですが。

秋から春にかけての強い風と降雪に耐える根は環境に順応して逆らうことを知りません。

さぁ、かの有名な雷鳥沢キャンプ場が目前に迫ってきました。登山や縦走を計画する時、参考にさせていただくためかなりの数の登山記や動画を拝見するのですが、ご多分に漏れず剱岳・立山縦走計画時もかなりの動画や写真を参照しました。そんな時に必ず出てくる雷鳥沢。やっと自分の目で足で実感します。
そして写真正面の稜線まで伸びる谷が雷鳥沢の急登です。今日はあそこを登って剣御前小舎が第一関門となりますね。

こちらも温泉の入れる山小屋として有名な「雷鳥荘」

この日、雷鳥平・雷鳥沢キャンプ場にテント泊だった方々は気持ちよかったでしょうね。テントに付いた朝露もこの日差しなら簡単に乾いて乾燥撤収。テント泊の翌日にゆっくり撤収できる登山なんて憧れます。いつもカツカツの日程で追われるような登山ばかりですから・・・・・

現在、地獄谷周遊路は火山ガスの濃度が濃くなっていますので通行禁止となっています。

ロッジ立山連峰

ここも白山の南竜山荘を彷彿とさせる本場のアルプス感です。

雷鳥平まで降りてきましてキャンプ場を突っ切り、称名川を渡ります。

雪解けの水はとても綺麗で真夏でも数秒しか手を浸けていられないほどの冷たさです。

雷鳥沢を登り詰めてきました。ここまでもこの先もかなりの急登です。さほどの時間は経っていませんが、通過した雷鳥平がすでに眼下に広がり、先ほどまでこちらを眺めていた対岸の雷鳥荘周辺部よりも標高が上がっています。

辛いから何度でも振り返ります。振り返って写真を撮るそぶりで休みます。

何度でも振り返ります。同じような写真を量産します。とても辛い急登です。足許はとても滑ります。砂利です。息も上がります。周りもみんな辛そうです。バックパックの中には小学校低学年の男子生徒が入っています。苦しすぎておかしなことを言い始めています(笑)男子生徒が入っているわけはありません。入っていたら大変な事件です。小学校低学年の男子生徒と同じくらいの重さの衣食住すべてが入っていてそれを担いでいるから尚更辛いんだと言いたかっただけなのです・・・

やっとの思いで別山乗越に建つ「剱御前小舎」に到達しました。自分も含め前後に登っていた方々は一様に「辛かった~」とへたり込んでしまいました。

剱御前小舎のある別山乗越に立つと目の前には剱沢から続く剱岳への大展望が。こんな景色を目の当たりにするとここまでの疲れも吹き飛びます。

進むほどに近づいてくる剱岳。

来る者を拒むかのような岩峰の要塞。近づくほどに見上げてはため息しか出ません。

谷間にテント場が見えてきました。今回の剱岳登山のベースキャンプとなる剱沢キャンプ場です。

そそり立つ険しい岩峰との対比が何とも言えない綿毛化したチングルマが出向かえてくれます。

テント泊の受付は、夏山シーズンのみ開局する管理所兼救護所にてテントひと張¥500です。

テント設営もそこそこに、靴を履きかえて剱岳山頂へのアタックを準備します。今回は岩稜へのグリップ力で定評のあるファイブテンのアプローチシューズ・ガイドテニーをアタックシューズとして持参してきました。クライミング用なので持ち運びや着用時の重量も気にならず濡れた岩でも相当のグリップ力を発揮します。
そういえばここ最近の山行では重登山靴を履かなくなりました。今回もここまではトレランシューズですし。
基本、重登山靴は重たいので機敏な足捌きはできません。重さの分、足にかかる負担と疲労も相当あります。ですが、重量級のバックパックを担いだときの足首や歩行の安定性は抜群に良いものがります。
逆にトレランシューズは軽くてソールのグリップ力もそこそこ有り、軽いということは登山において正義です。しかし、登山靴に比べて足首やつま先のホールド感においては劣ります。
重量を背負ってトレランシューズの選択は足首強化と脹脛から臀部にかけての筋肉量が無いと無謀な選択となりますが、わたしは冬場から足首と脹脛・臀部にかけての筋力強化を徹底的に図り、重量を背負いながらの足先軽量化を実現しました。

急峻な岩場に備えてヘルメットと天候変化に備えての上着、その他にファーストエイドキットと水などをアタックバックパックに詰めて出発です。

まずは剱岳取り付きの前衛、剱沢小屋へ。
ここの小屋で世界的クライマーの花谷さんをお見かけしました。彼は確か、南アルプスの甲斐駒ケ岳にある七丈小屋の主に就任していたと思うのですが、まさか北アルプスでお見かけするとは・・・・・

ここの小屋の有名な標柱。「岩と雪の殿堂」

剱岳を背景にする剣山荘が見えてきました。剱岳登山でこれから入る別山尾根への最後の山小屋。ここを抜けると山頂まで孤軍奮闘を強いられます。不安がある場合はここで引き返すよう注意喚起のコメントが至る所や雑誌などで推奨されています。

最後の有人施設を通過して、剱岳の懐へと入ります。

振り返ると先ほど通過した剱沢小屋が眼下に小さくなっていました。

この岩峰はまだ剱岳本体ではなく、前衛峰の前剱です。
聳え立ちながら迫りくる前剱の岩稜はもうすでに岩の殿堂。剱岳本体の姿は目前まで進まないと見ることができない場所まで到達しました。
近づけば近づくほど遠のくような錯覚に陥るのが急峻な山岳域の特徴です。

剱岳の北東へ連なる八ツ峰。
その昔、剱岳への登山は宗教的理由から入山を禁じられていました。それはやはりこの山は古の人たちには剣山の様に見えていたからなのでしょう。

剱岳本体へ取り付くには「一服剱」「前剱」と、二つの前衛峰を越えていきます。
ここは一服剱のピーク。

トリカブトの花を愛でつつ・・・・・ってこれ強力な毒性で知られていますね。

途中はもうブロガー魂をもってしても写真を撮る余裕や気力すら湧かない、えげつない急登のザレ場と岩稜ミックスを登り切り、やっとやっとの前剱です。
:剱岳最大の核心部を往く そして登頂へ

剱岳のその頂を視界に捕らえました。

と、若干安堵したのも束の間、「前剱の門」というなんとも無慈悲な登山道が・・・・・これでもここは一般登山道です。
大人の両足の靴幅のような絶妙に傾いた鉄橋を渡った先は少ない足場を足掛かりに横移動の鎖場です。

山頂が見えてから遠い・・・・・100名山あるあるです。

岩の隙間を縫うようにザレた登山道が続きます。スリップを起こしやすいこういうルートこそ慎重に。

平蔵の頭へ到達。ここは下山ルートと登りのルートが分かれます。前方より下山中の方々が鎖場を下降中なのでしばし待機します。
と、ここで。
鎖場を下山されてきた方に挨拶をしていたところ・・・・・・
GWの剱岳で起きた不幸な事故。その一部始終を記録していたユーチューバーの動画で、偶然その場に居合わせて一躍有名になられた富山の御大と遭遇。

抜かりなく記念撮影!(笑)
突然のお声掛けでしたが快く対応していただきましてありがとうございました。
今ではインスタでフォローし合っています(笑)

平蔵の頭の登りルート。
ここを越えたあとのルート、特に登りルートと下山ルートの分岐が非常に分かり難く、今まで足下の岩にマーキングされていたのが急に目の前の岩壁にマーキングが。下ばかり見ていると見失いますので要注意です。(はい、自分見失いました)
登りの鎖場をなんとか通過後に・・・・・

やってきました、剱岳登りの核心部「カニのタテバイ」。
もう、垂直の壁です。バーティカルです。これをよじ登るのです。

よくウェラブルカメラをヘルメットに装着して登山の模様を撮影してくれている方がいますので、そんな画像を参考にしていましたが、ウェアラブルカメラは周囲を広く映すレンズを搭載しているため広角の画角で周囲が歪むと。
ですから、そんなに切れ落ちた場所でもないのにスパッと切れ落ちて見える広角マジックで余計に怖いと何かで読んだ記憶があり、ここもまぁいくら縦だバーティカルだと言っても広角レンズのマジックなのだろうと高をくくっていましたが。
ここは本当に岩壁をよじ登る最大斜度80°のバーティカルリミットでした。
これが「カニのタテバイ」だったのです。

そして迎える剱岳登頂の瞬間。
もう言葉になりませんでした。

わたしが登り始めた昼前の時間帯はちょうど午前中に登頂された方の下山と重なる時間帯でした。最初のころはすれ違いで挨拶を交わしたりということもありましたが、ゆくゆく下山者も少なくなり、下山中の方から今登っているのは私を含め5名だけだと教えてもらいました。
渋滞する登山道よりも人のいない静かな山行きを堪能できると言えば聞こえは格好良いですが、登山者の姿が一切見えない中での鎖場やカニのタテバイなどはもし万が一なにか不慮の事態に陥った時、発見される確率が断トツで少ないわけであって、これはとても恐怖を覚える瞬間でした。
混んでいればそれはそれで嫌だし、空いていれば空いていたで心細さから恐怖心を覚える。
山ってやはり難しいです。(笑)

なんとか単独、自力で登頂しました。
ここでは本当に感無量でした。

山頂から先に続く北方稜線は経験を積んだエキスパートだけが行けるバリエーションルートの世界。
登山をかじった程度の若輩者が入ってはいけない聖域です。こころして眺めるだけ。

雲がかかり始めていたものの、山頂からの大展望は圧巻の一言でした。

こちらは八ツ峰のギザギザ。

剱沢小屋が眼下に見えて、尚のこと自分が登ってきたこの山の険しさを実感します。

名残惜しいですが、天候が崩れるかもという情報もありましたので、これにて剱岳山頂を辞去して下山を開始します。
とても悲しいことですが登山中の事故の大多数は下山時に発生しています。疲労と核心部を抜けた後の気の緩みそんなことが重なって事故になるようです。気を引き締めて焦らない気持ちと確実な足運び、集中力が必要となります。
:難関ルートは下山時の方が要注意!集中力と限界の戦い

そして来ました、下山での第一の核心部「カニのヨコバイ」

岩の壁を少しの足掛かりを頼りに横移動。
まさにヨコバイ状態で少しずつ進みます。

前後に登山者がいる場合、焦らず急かさず落石と滑落にだけ注意を集中して進むことをお勧めします。

カニのヨコバイを通過すると何やら眼下に小屋のような建物が

なんと超絶辺鄙なところにあるトイレグランプリな(笑)トイレでした。ここの下にはかつて平蔵小屋があって(今でも土台だけは残っています)その時の名残りだそうです。
梯子と鎖場を下降中、いきなり現れるからかなりビックリするインパクトです。

下山路のなかでも若干気を許すことのできる場所。こういう平坦な所で水分の補給を心掛けないと滑落の危険性が常に隣り合わせのルートですから気が抜けません。緊張感からか水分の消費量が半端なく増えてしまい残りわずか。結構飲んだ後でも未だにのどの渇きを覚えていますので剣山荘まで持つかどうか?

まだまだ気を許せず、「下山ちゃうやんけ」で有名な(?)登り。

鎖場とその高度感はまだまだ核心部並みの緊張を強いられます。眼下の山小屋が近くて遠い。

西日に照らされるイワギキョウが強さと儚さを醸し出していてパチリ!

チングルマも日の光を浴びて短い北アの夏を彩っています。

毒を持つからこその妖艶さ。トリカブトの紫がなかなか癖になります。

と、ここで剣山荘を目前に完全な水切れ。口の中が乾ききってしまい非常に辛い時間です。
剣山荘も見えてからが長い!なかなか着かない!のどが渇く!
ちょっと限界かも・・・・・・・
と、思ったところで

剣山荘に帰着。さっそくコーラを購入しました。\500なり。
山でのコーラは下界のそれとは違って、命の水!(笑)カロリーの即効性は他を圧倒しています。

もちろん祝杯は腰に手を当てて!
炭酸と糖分のコラボレーションで一気に生き返ります。

テント場目前まで戻ってきて剱岳を振り返ると山頂付近はガスに包まれてしまっていました。
非常に良いタイミングでの登頂と下山だったようです。

剱岳を眼前に夕食の用意。
今回もお湯を沸かせば食べられるアルファ米とフリーズドライ。

でも、こんな時間が至福でして。つらい道険しい道を抜けその日一日を振り返りながらの夕食は今のところ私の中ではどんな豪華な食事にも勝る最高の時間です。

尚且つ、ここ剱沢キャンプ場は目の前に剱岳を遥拝してキャンプができるという非日常もここまできたら実はもうあの世なんじゃないだろうか?問題も自分自身の中に巻き起こる(笑)そんなパワースポットが何ヵ所も連なるパワーの巣窟で一夜を明かします。

あそこまで登ったんだ!

夕日に染まる剱岳はいつしかガスも消え、その圧倒たる雄姿を、圧倒たる威厳を持ってこちらに微笑んでいるように見えました。
自然と「ありがとうございました」という言葉が溢れ、この山に魅かれたアルピニストたちの片鱗が分かった気がしました。
「いつの時代も人々の心をとらえる山 立山三山縦走」編へ続きます
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