残雪と岩峰、神々が住まう歴史と信仰の山々「剱岳・立山三山」縦走 2
- 2019/09/06
- 22:53
:いつの時代も人々の心をとらえる山 立山三山縦走
前回「試練と憧れ、アルピニズムに満ち溢れた孤高の頂 剱岳」からの続きとなります。

剱岳を俯瞰できる谷、剱沢キャンプ場で一夜を過ごし午前2時半ごろの天の川。

午前3時半を迎えるころには山頂でのご来光を目的とした登山者のヘッドライトが登山道に見え始めます。

気温は5,5度。宵の口、風は強かったのですが現在は無風状態。上着を一枚羽織っていれば寒さに震えることはありません。

早朝5時撤収を目標に朝食の準備をしています。

東の空が明るくなり始めたころ撤収完了。
4:55剱沢キャンプ場を出立します。

別山に向かう分岐で振り返ると、朝日を浴びる剱岳がそこには鎮座しています。

先に見えている稜線へと出たら180℃ターンをして別山の稜線へと入ります。

緩やかではありますが左側は急峻に切れ落ちたザレ場を進みます。

剱沢に入る直前の雷鳥沢を登攀後に訪れた剱御前小舎がある別山乗越方面。

ここまで上り詰めてくると室堂方面も眼下に捕らえることができるようになります

剱岳の対面にある別山まで来ると遮るものが無く剱岳を一望できます。

5:54別山南峰に建つ別山神社に到達しました。剱沢のキャンプ場から所要時間1時間くらでしょうか。
この祠には不思議な力が宿っているそうで、立山が起源となっている常願寺川の下流で拾った石に願い事を書き、それをここまで持参して奉納すると願い事が叶うそうです。生憎今日は持ってきていなかったなぁ・・・・・。

剱岳の眺望に関して、「絶対に行っとけ!」と方々で言われている別山北峰に向かいます。
別山神社のある場所からなだらかな稜線上を5分程度です。
見えているのは後立山連峰に位置する五竜岳、鹿島槍ヶ岳方面です。

眼下に剣山荘・剱沢小屋が見える位置まで来ました。

ここが別山北峰。
剱岳の向こう側、30km先は日本海。富士山を除くと海から最も近い3000m峰である立山連峰では、日本海の湿った空気を大量に含んだ季節風がこの山脈にぶつかり、冷やされ大量の降雪をもたらします。
プレート運動による隆起と火山活動で形成された立山連峰は大陸からの季節風によってもたらされる大量の降雪と雨により山肌は削られ、谷は深まり現在の急峻な地形になったとされています。
立山信仰では、剱岳は登ることが禁じられた山で巡礼者たちは立山から縦走し、ここ別山から剱岳を遥拝したと言われています。

切り立った剣山の如き剱岳は早くから神聖化された一方で、平安時代ころには地獄の一部であるという認識もあり積極的な登山は行われていませんでした。当時の地獄観は、心の善悪の天秤として極楽浄土への表裏として機能しました。
未だに噴気を出す地獄谷、長年の浸食により急峻で剣山のような地形、そこに生まれた地獄観と極楽往生への願いは当時の修験者たちに重視され「立山信仰」として確立していきました。
1907(明治40)年、当時には未踏峰とされていた剱岳山頂に到達した日本陸軍の柴崎測量隊は山頂で平安期ごろの仏具である錫杖頭と鉄剣を発見した。1000年以上も前、平安期の山伏が剱岳に登り登頂を果たしていた事実として、そして未だに解明されない入山経路や登山ルート、錫杖の目的など日本山岳史上最大のミステリーとして現在でも物議を醸しだしています。

剱岳の全景はここで最後になります。不思議な力と魅力を持った山。極楽と地獄。急峻と抱擁。
うむむ~、また来ます!

別山南峰へはイワヒバリが先導してくれました。
:神々の痕跡と信仰の象徴の地 立山三山

別山神社まで戻り、そこから左へと縦走路に入ります。まずは真砂乗越までの急降下。

立山連峰は室堂平を半周包み込むような形で隆起しているので、この後ほぼずっと室堂を右眼下に捕らえながらの縦走となります。

真砂岳には山頂を巻くトラバースルートもありますが、稜線へと出ると後立山連峰の山並みも見ることができますのでここは辛くとも山頂を踏むルートにてショートカットは致しません。

振り返れば別山越しの剱岳。これは、「また来いよ」なのか?「ちゃんと歩いているか?」なのか?なんとも剱岳の内省が推し量れない表情です。なんて、最近なんでも擬人化してしまう悪い癖が・・・・・

後立山連峰、白馬岳から続く稜線のシルエットが。今年は白馬も計画していたのですが天候の不順に当たり来年に持ち越しました。

内蔵助山荘に伸びる稜線の分岐。

山荘の屋根がチラッと覗えました。内蔵助カールと氷河(2018年に認定)の展望が有名な父娘で営まれている山荘です。

雷鳥沢と新室堂乗越方面の展望。

遥か彼方に富士山が拝めました。霊山から霊山を拝む。8月上旬に伺った北陸の白山も霊山として名高いですね。
わたしは白山と立山の日本3大霊山の2座を踏んだことになります。ちなみに私の中では富士山は遥拝する山。

真砂岳の山頂へ到達。

内蔵助谷の氷河の一端を望めます。ただの雪渓のようですが、その深さと内部の流動が確認され氷河と認定されました。雪渓の下25m以上の奥底で1年間に数センチ移動する氷は1700年以上前のものとされています。

真砂岳を降って最低コルからの富士の折立への登り返し。降ったら登らされる。山は人間の都合で出来ているわけではないのでこういうところで試されるのです。
山に登り始めた初心者の方はこんな光景で心が折れるみたいですね。何度かの縦走経験者と未経験者が一緒に縦走登山する場合は経験者はこの絶景や試されるかのような登り返しにはしゃぎ、未経験者は終わりの見えない登り降りに絶望し疲労から口数も少なくなる。やがて険悪な雰囲気の中での縦走となっている光景を幾度となく見てきました(笑)

ですが、ここ富士の折立への登り返しは縦走経験者でも口数が少なくなるほどの急登と悪路で心が3回くらいポキっと音を立てて折れました(笑)

急登を振り返るとやはりそこには剱岳の姿が。
岩々の急登は脚の上げ下げが非常に体力を消耗します。ルートの見極めをしっかり行い、極力上げ下げが少なくて済む岩を見つけ、歩幅を狭くして進めるポイントを探しながら歩を進めることが肝要です。

富士の折立を通過します。山頂は道標の奥の岩稜ですが、特に何もなさそうなのでスルーします。

次に向かう大汝山は目と鼻の先です。大汝休憩小屋の奥に山頂も見えますね。(人が立っています)
実は今回の山行2日目のわたし的ハイライトは立山の主峰である雄山ではなく・・・(笑)別山からの剱岳の眺望と、ここ大汝山山頂直下にある大汝休憩所=菫小屋だったのです。

右を向けば室堂と雷鳥平が眼下に。みくりが池や地獄谷の全景、位置関係が俯瞰できてここに来て初めて室堂を知りました(笑)

富士の折立からの道を振り返ります。剱岳が見えることが嬉しくて、何度も振り返り、足元のゴロタ岩に躓いてコケそうになる、を繰り返します。

目前に見えていた大汝休憩所に着きました。

この休憩所では営業期間中、食事の提供はありますが文字通り休憩のみで宿泊はできません。(なんかこんなことを書いていると、どこかの高速のインター近くによくあるラ○ホテルの注意書きみたいですね(爆))

ここは別名、「菫小屋」


内装は純然たる山小屋のそれです。

風雪を凌ぐ作りで玄関は2重です。

大汝山。

このアングルでピンとくる方もいらっしゃるのでは?
そんなあなたはかなりの映画通?もしくは蒼井優フリーク?もしくは南キャン山ちゃんフリーク??ですね(笑)
ここ大汝休憩所は、笹本稜平による小説を蒼井優、松山ケンイチのダブル主演で映画化された「春を背負って」にて奥秩父の山小屋=主人公たちの重要なファクターとして登場した山小屋のロケ地なのです。
でも、なぜ奥秩父の山小屋の設定がここ立山の大汝休憩所なの?とお思いの方もいらっしゃるでしょう。
わたしもそうでした。
この「春を背負って」という映画の監督は、元々撮影技師として活躍されていた木村大作さんの2作目の作品です。1作目のデビュー作は各映画賞を総なめにした2009年の『劔岳 点の記』だったこともあり、元来ここ剱・立山には思い入れがあったのでしょう。
2作目の期待は外部の方が盛り上がり、浅田次郎原作の「孤高の人」なども挙がりましたが、冬山の危険性なども考慮し断念。
偶然、書店で今作に出会ったことで映画化されることに。
なお、360℃どこを撮っても画になるという理由から立山大汝山でのロケが決定し、CGに頼らない四季を演出するため撮影は1年近くに及んだそうです。

大汝山山頂に到達しました。
休憩所からは数分。

剱岳から今日自分が歩いてきた稜線を振り返ります。こんな瞬間が一番、達成感を得られると同時に「一歩一歩負けないように自分の力で歩く」ことの大切さを実感します。

向かう先に立山信仰の総本山、雄山山頂に建つ雄山神社のお社が目前に迫ってきました。

立山の主峰、雄山の山頂に鎮座する雄山神社の鳥居まで到達しました。

シーズン中は祈祷料を払ってご祈祷を受けられます。その際は一杯の御神酒と鈴が付いたお札をいただけます。



こちらは雄山神社を管理する社務所でご祈祷料などはこちらで支払います。

ここに来て北アのシンボル、「槍ヶ岳」様の御姿が・・・・・
先週は、あの麓で集中豪雨に遭い無念の敗退。今年は槍ヶ岳周辺まで近づけませんでした。

雄山から下山し、次の目的地を目指すため一ノ越まで下降を開始しますが、この道もやはり一筋縄ではいかない急坂のザレザレでスリップし放題、小学校低学年の男子生徒と同じくらいの重量を背負っている身としては華麗なステップを刻んだ足捌きは到底無理。へっぴり腰でそろ~り・そろ~りと降ります。山は人間の都合で出来ているわけではありません!

何とか無事に学校登山で賑わう一ノ越山荘まで到達して、槍ヶ岳を遥拝。

地元の中学生たちは通常の遠足で3000m峰に登るのですから、東京で塾ばかり通っている子らとはメンタルが違うんだろうなぁ。

一ノ越山荘の横を抜け写真右上のピーク「浄土山」を目指します。ここ一ノ越山荘からは室堂への下山ルートがあるのですが、今回は立山三山と言われる立山信仰の象徴である3山をコンプリートして室堂へと降ります。

やはり剱岳は見ています。ひええ~

先ほど雄山山頂から一ノ越へと下ってきた尾根を対岸から振り返ります。学校登山の生徒さんたちも登り始めたようですね。
「お~い荷物の確認しろ~」「トイレは今のうちに済ませろ~」「上着を着る人は今のうちに着ちゃえ~」・・・・・先生方も大変です。

浄土山手前にある竜王岳直下にある富山大学の研究施設まで来ました。

このピークが竜王岳ですが登山道はありませんので完全なるバリエーションとなります。

竜王岳から先に広がる五色ヶ原。この先には北アルプス最深部の薬師岳、雲ノ平など、日本の秘境と呼ばれる地域が広がります。ここ立山から1週間ほど掛けて途中にある秘境の温泉に浸かりながら縦走する方もいるのだとか。
数年後に1週間以上のお休みの告知が出た場合にはご理解の程よろしくお願いいたします!(笑)

位置的に、あの槍ヶ岳の向こう側に上高地や新穂高があるのです。あそこまで歩けた日には悟りが拓けるかもしれませんね。

雄山山頂を望んでいます。

この日歩いてきた縦走路。左端は剱岳です。

室堂平方面、隣の浄土山へと歩を進めます。

今まで歩いてきた道を俯瞰しながらの更なる縦走路。こんなロケーションやルートもなかなか無いです。

目指す浄土山までは10分ほどです。
この辺りから、室堂方面から登ってきた登山者とすれ違うようになります。皆さんはこの後、雄山へ登り返し真砂岳、もしくは別山乗越から雷鳥沢を抜け室堂へ戻る周回コースを歩く方のようです。
僕のことを逆回りで来た登山者だと思って「早いですね~」って声を掛けられたので・・・・・
「剱沢から来ました」と、返すと皆さん一様にビックリされていました。私にとっては帰りの行程なので当たり前ですし、ここまで結構楽に来てしまっているのでビックリされる理由がよくわかりませんが・・・・・
帰ってきて、山好きの方に今回の行程を話したら・・・・・やはり、わたしが変態のようでした(笑)

浄土山山頂付近に到達です。“付近”というのは、浄土山には山頂標識が見当たらず気が付かないうちに通り越していました。

歩いてきた縦走路を振り返りながら感慨に耽るの図。
ここ立山の三山にはそれぞれ意味があるそうです。
その意味とは・・・・・
立山信仰では浄土山は「過去」、雄山(立山)は「現在」、別山は「未来」の山とされ、合わせて「立山三山」と称されています。
今わたしは、未来から来て、現在を通り越し、過去に立っているわけです。
なんだか、タイムパラドックスに陥りそうで「バック・トゥ・ザ・フューチャー」的な連峰を歩き切りました!(笑)

浄土山には、日露戦争における富山県人の戦没者慰霊碑が建っています。

雄山(立山)を

剱岳を
見納めて

室堂へと下降します。
室堂周辺は行きでも通過した石畳の整備された遊歩道です。
そこまでたどり着ければもう、捻挫や骨折の心配も無いし、自己責任という思い重圧からも若干解放され自力じゃなくとも帰りの段取りが組める場所なのでメチャ安堵しました。

が!しかし、北アはそんなそんな感慨や達成感に浸らせてくれるほど甘いわけもなく・・・・・
無慈悲な急坂&段差の大きな岩場が最後の最後に待っていました。
この時点で今朝、剱沢キャンプ場をスタートしてから約5時間経っています。
しかも、背中には小学校低学年の男子生徒を担いでいます・・・・・
あ、
いや
小学校低学年の男子生徒と同じくらいの重量のバックパックが・・・・・(笑)

なんなんだよ~この急坂は~
ふざけんなよ~
最後の最後でこれかよ~

5時間以上歩いてきて、神の存在も感じて
小学校低学年の男子生徒も背負って(笑)
頑張ってきたのに~
膝が壊れるくらいの急坂を最後に用意している立山の神って~もう~!

なんて悪態はついてはなりません。
すべては神の御心、神の思し召しなのです。
わたしはこの立山縦走で改心し生まれ変わったので決して上記のようなおぞましい言葉を発することはありませんでした。
アーメン・・・・・・

ここまであまり無かった道標に少し安堵の気持ちが。
やはりただでさえ心細くなる山中。道標や標識で人の存在(ここまで人は来ているのだ)というのは本当に救われます。

自分が歩いて来た道とは正反対のほのぼのとした雰囲気で一気に脱力します。それだけ緊張感を強いられたということでしょうか?

下山道を振り返ります。ゴロゴロの岩が浮石だったり、滑る岩だったりと神経を使う下山路でした。

この辺りの足場はまだ然程良くはありませんが、それでもえげつない急坂とかではなので平和な道を進みます。


やっと室堂の整備された石畳が。

歩いて来た稜線は遥か上空に。

今日一日のハイライトのような景色です。ついさっきまであの稜線上を歩いていましたから。

やっと人口建造物が見えてきて、「もう何があっても大丈夫」という解放感と安堵感に包まれます。

ミヤマタンポポも最盛期。下山を見守ってくれているようで・・・・・と、なんでも自分本位に考えるくらい登山中の緊張感って凄いんでしょうね。

無事に室堂ターミナルに戻ってくることができまして・・・・・・
まずは、おつおつかれの地ビールをば!
プハ~
生きててよかったー!!(笑)

行きに見た「立山」の文字も、心なしか輝いて、そして霞んでいるようにも見えます・・・・・泣いてなんかないやい!

室堂平を行きと同じ方向へ進み、みくりが温泉にやってきました。

ここで地獄谷から湧く源泉100%の温泉で2日間の汗を流させていただきました。
古くから日本の地獄は立山にあると信じられてきましたが、地獄から湧きたつ温泉は最高だったわけで・・・・・
逆に「浄土」である浄土山からの降りでは浮石・段差地獄に遭いホントの地獄を体験しちゃいまして、その後に本来恐れられていた地獄の象徴である地獄谷の源泉を堪能・・・・・地獄もそうそう悪いものでもなくて、世の中そう捨てたものでもないなぁ~なんて(コラ)

温泉を堪能して戻ってきた室堂からの立山は厚い雲に覆われ始めてしましました。
結果的にスタートを早め、午前中のうちに立山縦走を終えられたのは良かったと思います。
電源開発に掛けた人々の歴史を辿る「立山黒部アルペンルート」編に続く
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