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残雪と岩峰、神々が住まう歴史と信仰の山々「剱岳・立山三山」縦走 3








:電源開発に掛けた人々の歴史を辿る「立山黒部アルペンルート」




:いつの時代も人々の心をとらえる山 立山三山縦走からの続きとなります









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大正10年から昭和8年にかけて立山水系を利用した発電所を全部で7つ建設し、これにともなう鉄道の敷設も計画されました。これが後の立山黒部アルペンルートの端緒となったと言われています。
当時、全線開通へ向けた鉄道建設事業が立案、実行され始めましたが、太平洋戦争へと突入した日本は激化していく戦況により、立山の開発の計画は一時停滞することとなります。


戦後、敗戦からの立ち直りを見せる日本国内において電源開発事業が再び活発な動きを見せ始めました。北陸電力が常願寺川水系、関西電力が黒部川水系の電源開発を請け負い、さらに立山山岳地帯の観光開発計画の一環として富山地鉄・関西電力・北陸電力参画のもと、立山開発鉄道会社を設立。
富山県が道路を建設するのにあわせて立山開発鉄道会社は運輸事業や宿泊事業を整備し、本格的な開発が実現したのです。









:人跡未踏の山岳地域を一大観光化するという無謀にも思える計画が始動



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立山黒部貫光無軌条電車線(たてやまくろべかんこうむきじょうでんしゃせん)は立山室堂駅から立山ロープウェイの大観峰駅までを結ぶ立山黒部貫光の無軌条電車線(トロリーバス)です。立山黒部アルペンルートを構成する交通機関の一つとして全区間立山直下の立山トンネル内を走っています。

















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元々のディーゼルバスによる運行から環境的な理由で1996年にトロリーバスへ転換されました。2018年12月に関電トンネルのトロリーバスが電気バス化され、廃止後は現存する日本で唯一のトロリーバス路線となりました。












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昭和38年には立山黒部貫光株式会社が設立され、すでに開通していた大町トンネル(関電トンネル)も含めた富山と長野を結ぶ全線自動車道路を開通させる計画が進められましたが、昭和41年に始まった立山黒部貫光株式会社による雄山(立山)直下を貫く立山トンネルの掘削工事では50m続く破砕帯に直面し、毎分63㍑に及ぶ地下水や豪雨による被害で工事は難航を極めました。

室堂~大観峰を結ぶ全長3.7kmのトンネルとなります。











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ロープウェイへの乗り継ぎ駅である大観峰の展望台からは赤沢岳やスバリ岳、針ノ木岳の展望があり眼下には黒部湖も望めます。













立山黒部アルペンルート

現在、大観峰ですのでこれからロープウェイで黒部平まで降っていきます。















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かなりの高度感があり、発車時は結構ゆれます。













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黒部平駅と黒部湖。黒部湖までは次の黒部平でケーブルカーへ乗り換えて到着します。













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登りのロープウェイとの離合はなぜかドキドキワクワク(笑)
















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所要時間7分ほどで黒部平駅に到着です。














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黒部ダムへの降り口へとつづくケーブルカーへと乗車します。
黒部ダムの完成の10年ほど前から、当時「人跡未踏」だった立山山岳地帯における総合観光開発案を富山県が策定しました。













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車内がすべて階段状からも覗える通りのキツイ斜度です。
黒部川の電源開発工事と合わせて「富山と長野・信濃大町を結ぶ道路建設を核とした、立山・黒部・有峰地区における一大循環ルートの構築」が考案されました。














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しかし富山県が完成予想として描いた、全線を自動車道路として開通させる計画は自然保護団体などの反対運動もあり、大観峰から黒部平まではロープウェイ、黒部平から黒部湖まではケーブルカーで移動する形に計画を一部変更されました。

当初の計画からは2年遅れの昭和46年6月、立山トンネルバス・立山ロープウェイ・全線地下式黒部ケーブルカーの完成をもってついに立山黒部アルペンルート・関電トンネルを使った富山・長野間を結ぶ全線開通が実現しました。














:高度経済成長と社運を賭けて関西の電力破綻を防いだ男たち



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立山黒部アルペンルートを説明する上でどうしても欠かせない存在が「くろよん」こと黒部ダム・黒部川第4発電所の存在と『世紀の大工事』と称されたダム建設における難工事の歴史です。















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時は大正、北アルプスの急峻な山々に囲まれた黒部峡谷を流れる黒部川はその圧倒的な降雨、降雪量と落差の大きい地形から水力発電の最適地として調査が繰り返されていました。
















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このころからダム開発の可能性調査の為、宇奈月~猫又の軌道開削や日電歩道(にっぽんでんりょくは太平洋戦争前に存在した電力会社。関西電力がその後を引き継いでいます)の開削が進められ、柳河原発電所を皮切りに黒部川第3発電所までが次々と建設されました。(下ノ廊下)















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日本の急速な経済成長により関西圏への電力供給不足が深刻な社会問題となった昭和31年、黒部川をめぐる電源開発は最終局面へと向かう大きな決断をします。















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それが、豊富な水量と大きな落差により水力発電最適値とされながらも厳しい自然環境により建設を阻まれていた黒部川最奥地に大型ダムを建設し、関西圏への電力供給を一手に担う黒部第4発電所の建設案でした。















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7年の歳月と513億円の工費を掛け、昭和38年6月5日、「くろよん」は竣工しました。














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完成当時、大阪府の電力需要の50%(25万kW)を賄ったことでも知られ、東京に追いつくべく産業も重工業への転換がようやく可能になったと言われています。

日本を代表するダムの1つであり、富山県東部の長野県境近くの黒部川上流に関西電力が建設したアーチ式コンクリートダム。
















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水力発電専用ダムで貯水量2億立方m(東京ドーム160杯分)、高さ(堤高)186 m、幅(堤頂長)492 m。日本で最も堤高の高いダムであり、富山県で最も高い構築物でもある。













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黒部ダム完成により、総貯水量2億トンの北陸地方屈指の人造湖「黒部湖(くろべこ)」(ダム湖百選)が形成された。Wikipediaより









:開通しなければ黒四ダムは存在しなかった 電力破綻を救った狂気の5.4km



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関電トンネルは1958年全通し関西電力が保有していますが、国立公園内に掘られたトンネルであり、「一般公衆の利用に供すること」が建設許可の条件となったため、関西電力はダム工事完成後、トンネルを通る公共交通機関を運行することによって条件を満たすことにしました。












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3000m峰の山々に囲まれた黒部川の峡谷に大型のダムを建設するため関西電力はまず手始めに旧国鉄・北大町駅の資材基地整備の着工を行いました。













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続いて県道扇沢大町線の扇沢から山中を貫き、ダム建設予定地までの専用トンネル『大町トンネル』(現・関電トンネル)の掘削を開始。












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2018年12月に関電トンネルトロリーバスが鉄道事業廃止し(トロリーバスは電車扱いなんです)、2019年4月に関電トンネル電気バスとして電気バスへ転換され運用が始まりました。













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通常エンジンルームなっている場所には大型のバッテリーが入っており、扇沢駅にある充電施設にて車両備え付けのパンタグラフから10分という超高速充電が可能。最高速度は50kmで前トロリーバス時代から比べ2倍の出力を出します。現在15台が運用されています。












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長野・富山県境の交通は飛騨山脈(後立山連峰)の急峻な地形によって阻まれており、一般の車両が通行できる道路がないことから、本路線は両県境を直接行き来することができる唯一の交通機関となっています。













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昭和31年10月から開始された資材運搬用のトンネル掘削工事は順調に推移するものの、8か月後の翌年5月に破砕帯に行き当たります。この破砕帯は岩盤の中で粉々になった砂礫が大量の地下水を溜め込んで脆弱となった地層で、毎秒660㍑の地下水を噴出(水深40mでの水圧と同等)し工事の中断を余儀なくされました。












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(破砕帯であった80mの区間は照明が青くなり、ここがその現場であったと後世に伝えています)

不可能と言われた破砕帯の突破では、当時の英知を結集して地下水を他へ逃がしながらの工事を発案実行し、80mに及ぶ破砕帯を突き抜けました。この間、掘り進むのに要した期間は7か月。多くの死傷者を出しながらも貫通した資材搬入トンネルルートが確保されると黒部ダムの建設は一気に本格化しました。この出来事が後に世紀の難工事と言われる所以です。












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バスは関電トンネルを抜け、長野側の玄関口である扇沢駅に到着しました。富山県立山町から長野県大町市へと飛騨山脈を横断した下山ルートの山旅は約1時間30分の電源開発と観光開発にかけた人々の歴史を追った充実の行程にて終了しました。













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一般車はこの扇沢駅の目の前にある駐車場まで乗り入れ可能です。













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なんだか今回はすごい所を巡った山旅だっただけに、こんなお言葉が心に沁みますね。













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ここ扇沢からは針ノ木岳(雪渓が有名)や蓮華岳、爺ヶ岳などなど後立山連峰の伏兵たちが、またここへと戻ってくるためのマクガフィンとして、扇沢を囲むかのように鎮座しわたしに動機づけをしておりました。














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新宿行きの高速バスに乗車して2日間に及ぶ神への山岳信仰と人々の生活にまつわる電源開発の地を巡る山旅は終了しました。

剱岳・立山にその足で立って何かを感じている時、下山中に触れた高度経済成長を電源というファクターで支えた人たちの歴史、登山すべての行程を終え扇沢でバスを待っている時間、こうして本作を執筆しているこの瞬間・・・・・

その都度都度で自分の心境が変化し、執筆に際して新たに調べ直したことや現地で見てきたもの感じてきたことが相互にリンクし始め、立山という場所が持つエネルギーの大きさとそれに共鳴した自分自身の感情には驚きと、また逆の嬉しさに似た高揚感が湧き上がる、なんとも不思議な力を感じた山旅と余韻でした。
この心が感じる心境というものの変化はこれからも続くでしょうし、次回また剱岳・立山三山に伺うことができたときに何かしら「腑に落ちる」ものを感じ取るのかもしれません。それまでしっかりと律して切磋していたい。そんな風に思う”今“です。






残雪と岩峰、神々が住まう歴史と信仰の山々「剱岳・立山三山」縦走 完
長々とおつきあいいただきましてありがとうございました
















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